ようやく寒さも遠ざかってきました。 今年の冬は例年よりも少し長いと感じた人も、冷たい風に凍えた人も多かったのではないでしょうか。
しかし来週くらいには、日本中が桜でいっぱいになるでしょう。 可憐な花びらをまとう様子はまるで美しい新婦のようです。日本のネパール人コミュニティも、花見を心待ちにしています。
花見は、日々の忙しさや疲れ、ストレスを忘れることができる楽しいお祭りです。満開の桜の木の下に座って、家族や愛する人、親しい友人たちと飲食するのは、特別な体験です。
こういった伝統や文化を大切にすることについて、日本は私たちの先を行っています。そして公園、川岸に植えられた桜の木々を目当てに、何百万人もの外国人観光客がやってきます。桜は大きなインバウンド需要とも結びついています。
これは私たちネパール人にとって、本当に模範的なものです。自然の美しさを観光に結びつけるというのであれば、ヒマラヤを擁する私たちの国にも、日本のような可能性があるのではないでしょうか。ネパールの若者たちは、裏庭に埋まっているダイヤモンドに気づくことなく、はるか湾岸諸国やマレーシアなどの国で自分の労働力を安い価格で売ろうと決意しています。
私たちの世代は道に迷い、たくさんの人々が海外で働くようになりました。しかし次の世代には、できることなら母国で働き幸せに暮らしてほしいし、そのための環境の整備を政府は行うべきでしょう。10代の若者たちが海外で働くことばかりを夢見るような社会は変えなくてはなりません。まずは自国での生活を思い描けるようになることが大切です。
タクラ(高い山が連なること)の国からサクラの国に来た私たちネパール人は、日本は広大な海であることを理解しなければなりません。そしてここに潜ると抜け出すことは困難です。なぜなら家の前にあることに気がつかなかったダイヤモンドが、この海で見つかるからです。
宝石を手に入れた達成感や満足感が、私たちを迷わせます。そして日本での生活は、溶け込んでいけば心地よく思えてきます。だから日本に来たネパール移民たちが母国に帰国するという話はあまり聞きません。海外で学び、理解し、知り、経験することは一時的なものであるべきであるというのが常識ですが、それが永続的なものになってしまいました。
ブザイとボガイ(理解と経験)は自分のものにすることができますが、その人が生まれた地の土壌はなにより神聖で、変わることがありません。
世界のどこに暮らしていても、故郷の土の香りは届いてきます。毎朝目が覚めるとき、たとえ外国のひと気のない街路に立っていると気づいたとしても、私たちは自分たちの息、血、汗の中の中に祖国が息づいていると感じることができます。これは私たちを育ててくれた土壌からの贈り物であり、私たちがどこへ行ってもこの贈り物は私たちとともにあります。故郷とは最愛であり、最高のものなのです。
日本を彩る桜はまた、気分をリフレッシュさせてくれます。一年を通して、私たちはやりたいことができたり、できなかったりしましたが、そうした過去を忘れて美しい未来の夢を紡いで幸せになるために、桜を眺めて心を浄化しましょう。
3月は日本の会計年度の最後の月であり、何百万もの若者の雇用の前夜、またネパールの新年が近づく季節でもあります。桜祭りは、前向きな精神で歓迎されるべきです。舞い散る桜の花びらの中に、夢や目標もきっと見つかるでしょう。( Translated by Mr. Murohashi Hirokazu)
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